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2016-12-28,Wed.

この1ヶ月間ずっと、言葉が離れてゆくのを感じていた。私の言葉は醜く実用的になり攻撃的になり空虚なはりぼてとして私を苦しめた。私は自分の言葉に現実的な実用性が宿るのを嫌う。言葉が実用的になるというのは人間としての関わりあいに囚われるということだ。そのようになってまで延命をはかる意味はどこにあるのだろう?風の匂いや温度による世界の輪郭の幻影を感じられずに生き存えて恐怖と悲しみと苦痛の香りだけが残る濁った微温湯に耳まで浸かり………

2016-12-10,Fri.

ときどき足を踏み外して暗い沼に呑み込まれる。

 

いつも〈大丈夫〉なつもりでいる。生きていけるような気がする。色々やりたいことがあるような気がする。心にひやひやと迫ってくるものに気づいてはいけない。自分が綱わたりをしていることに気づいてしまったら、落ちる。

 

落ちる。落ちる。落ちる。生きるのをやめなくてはならないと感じる。今までに何度もシュミレーションした首吊りのイメージが過ぎる。涙がとめどなく流れる。

 

 

2016-11-30,Wed.

早く早く早く早く早く早く早く早く!早く終わって。

私は一体いつまで暮らし続けなければならないのでしょうか。揺れて焦点の合わない視界も震えて力の入らない手足も痛み続ける胸も頭も、もう全部脱ぎ捨てたいのです。

 

ときどき気の迷いで病院に行こうかと思うことがある。

でも病院は嫌。今までに行った何軒もの病院の内装は覚えているけれど医者や看護婦の顔もそこで何を話したのか何をしたのかも全く覚えていない。ただ、すごく嫌な気持ちになる。病院はきらい。

何故だろう。

2016-11-24,Thu.

夜明け、冬の匂いを嗅いだ。目が覚めて、水っぽい雪が枝から落ちる音を聞いた。水道の水は鋭く突き刺さるようで、気づけば指先は棒のようだった。幸せだった。これが冬。これが冬。異常でも何でもいい。待ち望んだ冬の訪れに、心が高鳴った。

2016-11-21,Mon. その2

夢の中には自分というものがない。あるのは行動と閃きと恐怖だけだ。夢によっては行動も閃きも恐怖もなく、ただ多幸感だけがある、ということもある。夢でなく現実ならそれら全てがあるし、動悸息切れ眩暈、そして思考もある。夢の主である私にだけでなく、全ての人に。夢の中では必要なことしか見えないけれど(思考がないから見ようと思うこともない)、現実では全ての不要なものも見ることができる。

 

お茶のお点前も、夢と似ている。そこには行動しかない。行動と肉体と、肉体の一部である茶道具。私にはまだ「茶の心」などというものはわからない。そんなものがあるということも信じられない。私には行動と形式こそがその「心」であるように思える。お点前の最中に精神が割り込んでくる隙間があるようには思えない。

「形式に囚われず自由にお茶を楽しむ」などと言う人がいるが、私にはそれはわからない。お茶で形式以外の何を楽しむというのか?形式と無我の動作による美こそがお茶の楽しみではないのか。

私がこのように考えるのは飲み物としての抹茶が好きではないからかもしれない。私はコーヒーやお茶(紅茶緑茶烏龍茶ハーブティー等々)といった抽出する飲み物が好きだ。抹茶やココアは好んで飲もうと思わない。抹茶も抽出された形式だと考えることによって辛うじて楽しめるけれど、形式抜きで飲めるほど好きじゃない。

でもハーゲンダッツの抹茶味は好き。

 

 

初夏から庭の大きな甕で飼っている丹頂コメットのコメットちゃんが冬を越せるかどうか心配している。水槽に入れて部屋飼いにしようか。欲しい水槽とその他の設備を揃えるとかなり阿呆らしい額になるので踏み切れていなかったが、コメットちゃん一匹だけなら2千円くらいのスターターセットを買ってみるのもアリかもしれない。北野の金魚屋にいたような鯉のように大きくて宝石みたいに美しい夥しい数の金魚たちと暮らすのはおばあさんになってからでもいい。とりあえず一匹育てあげたい。

2016-11-21,Mon.

夢。悪夢的ないじめを受けている友達がいて(架空の人物だ、鈍臭くて攻撃的で肌が汚くて小太りで可愛くない。髪が長い。)、ある夜おつかいに行く彼女を守るため私は米と酒とお香が必要だと感じて、(その夜私はお茶の先生の家にいた。)玄関横にあったおひつからごはんをひと摑みとってお香を買うために大きな日本建築の家を飛び出す。外でその友達と会い、ごはん粒を握らせる。何かから逃げるみたいに放置された倉庫や掃除中の公共の男子便所などを通り抜け、バス停に着く。バス停には何人かの人が並んでいる。バスが着くと、私の前に並んでいた少年が列を抜けるような抜けないようなおかしな動きを始める。前の人たちがバスに乗ってしまっても少年は前に進まないので、私たちは少年を抜かしてバスに乗る。バスは物凄く混むはずなのだがまだ席がいくつか空いている。私と友達とは少し離れた場所に座る。バスに乗っている間に夜が明ける。バスに乗ったのは午後8時くらいで降りたのは次の日の午後1時くらいだと思うが、バスに乗っていた時間はたった20分程度だ。次の日は曇っていた。バスに乗っている間にこの町を支配しているのは北斗の拳に出てくるみたいな暴走族だと知る。バスは斜め後ろに向かって曲がる道をショートカットして進んだ。ちょうど角が月極め駐車場になっていたのだ。私たちは寂れた温泉街にあるような寂れた商店街でバスを降りた。その先は憶えていない。

 

久しぶりに夢を書き留められたので夢の辞典を捲ってみたけど役に立たないこと甚だしい。

2016-11-20,Sun.

19日(土)

お世話になっている人のお母様が亡くなられたと聞いた。私の身体の外部で死の風が吹くのを感じたときいつも、私は罪悪感でいっぱいになる。…

 

飲み会。名前だけずっと昔から聞いていて(伝説みたいに思っていた)、今日はじめて会った人がいた。谷口ジローの漫画の主人公みたいな顔で、はにかんだように笑ったり話したりする人だった。Tさんもいた。今日も素敵な眼鏡をかけていた。目頭の切れ込みの具合とか髪の毛の質とか色とか、目の下から口角にいたる頰の曲線とか、ああどうしてこんなに完璧な造形がこの世に存在するのだろう。静かな幸福。みんなの話を聞いているのがとても楽しかった。大した話はしてないけどみんなまとめて私の憧れ。

 

20日(日)午前2時

私は漫画喫茶にいる。音を立てて忙しなくキーボードを叩く人や鼾をかく人がいる。ここでは私は孤独だけれど、泣くことはできない。2年前、あるいは3年前、私は頻繁にここに泊まっていた。あのとき私はどんなだっただろう。自分のことに関する記憶がほとんど残っていない。

いつも雪が降っていた。

 

ショートピースを一箱消費した。一度にこんなにたくさんのタバコを喫ったのははじめてかもしれない。指先がニコチンで黄色くなった。視覚的に許せない。悍ましい。舌も痛い。

…なぜショートピースなのだろう。不思議だ。フィルターがなくてコンビニで買えてファッション性も兼ね備えているからだけど。でもきっかけがわからない。思い出せない。

 

20日(日)午前5時

始発で帰る。キオスクの前で大量の新聞を束ねている人がいた。生魚が食べたい。心が平和なときに飢えると生魚がほしくなる。平和じゃないときは辛いものが食べたくなる。揚げた肉なども食べたくなる。

 

煙草を喫って身体や服に臭いがつくのがほんとうに嫌だ。煙草を喫う私はマッチ売りの少女でつかの間死への衝動から解放されるけれど、その後は臭いによって余計に死にたくなる。死にたくなるし不安になる。いつまで待ってもこの夢は醒めないのじゃないか。夢から醒める以前に私は眠ることすらもできない。

 

世界が全部まるごと愛しいし私は幸せだしどうしたらいいのかわからない。

 

 

メモ。テレプシコーラドロヘドロ