2014-02-26,Wed.

誰でもいい。あなたのことを愛すから、私を殺して。

愛する人になら殺されてもいいなんて、よく聞く言葉だけど、私があいしているあの人は、私を殺してなんてくれない。殺せるほどに私に関心を、持たない。これからも、いままでも。
私の恋は、きっとほんものの恋ではない。世界への恐怖からほんの一瞬でも目を逸らすために、意識的につくりだされたもの。ああこの恋の擬態を抱いたまま、気化するようにこの世から消えたい。世界への恐怖とあのひとに恋する心は紙一重。

わたしはものごとをあるがままにうけいれすぎた。世界をあるがままにうけいれすぎた。なんの疑問も抱きはしなかった。これからもしないだろう。できないのだ。できないのだ。できないのだ。私の前に世界はつねにうつくしかった。この精巧でがさつな世界は、つねに美しくあって、そして私がそれに踏み入ることを頑に拒否した。関係性の欠如。私は世界の中の個々の事物を、個々の事物またはすべてとしてしか捉えることができなかった。それらのあいだに繋がりはなかった。わたしはそれらを、すべての中の個々、または個々の集合としてのすべて、として捉えることができなかった。

わたしは悲しむことしかできなかった。悲しみのほかのどのような感情も、悲しみを生むために生まれた。悲しみ以外に何かあるとすれば、それは恐怖。

これまでよく圧し殺したものだと思う。

これからも押し殺していくの?

どんどん螺子がはずれていく。蒸気が吹き出して、螺子がはずれたあとには氷が張る。

死にたい、と、生きていたくない、は違う。以前は死にたい、のほうが多かった。いまではほとんど、生きていたくない、に置き換わっている。皮膚に対する恐怖より、生に対する恐怖のほうが大きくなった。出なかった涙はまた、夜毎襲ってくる。恐怖恐怖恐怖。バレリアンも救ってはくれなかった。

きっとわたしは、胃部不快感とお友達になったようにこの恐怖ともお友達になって、68歳まで生きるのだろう。あと50年。半世紀。とてもとても、永い。根拠のない予言に支えられて68まで生きて、そのあとはどうなるのだろう。69歳になって、生きながらえている自分を発見してしまったら。


ぞっとする。老いた自分、死にすら置いていかれた。

どうやって私はこれからの人生を生きていく?吐き気がする。街に溢れる匂いにも、人の声にも、皮膚にも、視線にも、かつて彼らのうちだれかあるいは全員を構成していたであろう空気にも、その空気を媒体に様々な経路で、かつて彼らを構成していたものが今はわたしを構成しているという事実にも、吐き気。人が作り出したものは素晴らしい、うつくしい、それらに欠点があるとすればそれは彼らが人の手によって生み出されたものであるということ。あいしていますあいしていますあいしていますあなたを、あなたを、どのあなたのことも愛してる。いとしい世界にごめんなさい。ごめんなさい。私があなたを恐怖するのは。私があなたを恐怖するのは。


楽しいときほど恐怖は私の下にあつまる。嬉しいときほど恐怖は私の横に。幸せなときそばにいるのはいつも恐怖、そして悲しみ。



よく生きました。
どこまで誤魔化して生きてゆけるの、私の前にあのひとのすがたがあるかぎり。どこまで誤魔化して生きてゆけるの、物欲を絶やさないことが鍵。
どこまで誤魔化して生きてゆけるの、きっと涙が涸れるまで。


山かなにかに登りにゆけば、いいのよきっと。そうしたらまた、生きてゆけるのじゃないかしら。









わたしは愛だけを抱いて行く

よろこびとおそれとおまえ

おまえの笑う三月に

「三月のうた」谷川俊太郎より
http://youtu.be/vdyZMhDgnUw「三月のうた」佐藤健山岳映画社