2014-05-09,Fri.

生きていることが気持ち悪い。いつまでたっても生きている自分に馴染めない。

取り繕えてしまう。どんなに辛くてどんなに悲しくてどんなに怖くてどんなに苦しくても人前では笑顔と冗談で取り繕ってしまう。取り繕ってしまうのはきっと、誰のこともほんとうには信用していないから。だから、一人でいる時間はどんどん涙に沈んでいく。
どうしたらいいのかわからない。他人に見せている自分の顔が、笑顔として成立しているのかわからない。何が怖いのかも何が辛いのかもよくわからない。現実に置かれている状況や人間関係やその他諸々の何かではない。いつでも恐怖は共にあった。ずっとずうっと昔、まだ幼くて小さかった頃は恐怖の対象は明確だった。ベッドからはみ出せば床の水面を泳ぐ恐ろしい何者かに喰い殺されるかもしれなかったし、暗闇や天井の角から何かが私に手を伸ばしているかもしれなかった。その恐怖を誰にも言わなかった。どう言っていいのかわからなかった。別に霊感があるわけではないのだ。実際にそこにあるものを怖がっていたわけではなくて、あるかもしれない、と、思って怖かったのだ。今はもう、「あるかもしれないもの」に恐怖することはないが、そのかわり、何が何だかわからず我武者羅にただ恐怖を感じている。それが切り替わったのがいつのことだかはわからない。
とにかく怖い。とにかく悲しい。そこに現実世界が混ざりあって、辛くて苦しくて堪らなくなる。苦しすぎて悲しすぎて、『寺山修司少女詩集』が読めない。読むと感情が爆発してしまう。嗚咽を漏らしてしまう。涙だけで済まなくなるのだ。なぜこの本がここまで響くのかよくわからない。これ以外の大抵のものは涙だけで済む。

さいきん、といっても昨年からだが、文章が書けなくなってきた。冷静でいられる時間が短い。文章を書くときは一人だから。