2014-06-21,Sat. その5

「私の生まれた日は消え失せよ、
〈男の子が胎にやどった〉と告げたその夜も。
その日がやみとなり、
神が高みからその日を数えず、
光がそれに輝かず、
やみと深き影に沈み、
雲がその上を覆い、
日のかげりがそれを覆うように。
くらやみがその日を占め、
年の日々にそれを加えず、
月の数に入れぬように。
その夜は実りなきものとなり、
喜ばしいざわめきを知らぬ。
日を占う者が、
レビアタンを呼び起こせる者が、
それをのろう。
その日のしののめの星は暗み、
空しく光を待ち、
暁のまぶたが開くのを見ない。
その夜、私がいた胎の門が閉じられず、
私の目から苦しみを隠さなかったからだ。

なぜ、私は胎内で死ななかったのか。
腹を出てすぐ息絶えなかったのか。
なぜ、二つのひざがあって私を受け、
なぜ、二つの乳房があって私に乳を飲ませたのか。
それがなかったらいま私は、
静かに横たわり、
安らかに眠っていただろう。
廟を築いた王たち、
地の偉人たちとともに、
あるいは、黄金を豊かに持ち、
銀で家を満たした王たちとともに。
また、葬られた胎児のように、
光を見なかった幼児のように私は存在しなかったろう。
向こうでは悪人たちが荒れ狂うのをやめ、
力つきたものが休み、
捕らわれ人はみな安らかにおり、
獄吏の叫びも聞こえぬ。
向こうでは小さき者も偉大な者も等しくなり、
奴隷は主人から解放される。

なぜ、不幸なものに光が、
心痛む者に生命が与えられたのか。
彼らは死を慕うが死はこず、
隠された宝以上に死を探り求める。
彼らは塚を見て喜び、
墓につくと歓喜する。
神が四方から垣を囲み、
道を隠された人々に、
なぜ光を与えられるのか。

私は嘆きを食べ物とし、
水のようにうめきをもらす。
私が何かを恐れればそれはこの身に当たり、
恐れるものは追いついてくる。
私には安らぎも平和もない、
私の苦悶は休みを追う。」

ヨブの書 第3章より