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2015-01-07,Wed.

ななくさの日です。人日の節句です。ななくさのかゆを食べて邪気を祓います。せりなずなごぎょうはこべらほとけのざ、すずなすずしろこれぞほにゃほにゃ……

▶︎▶︎さいきんのスキンケア
洗顔…ロゼット洗顔パスタ荒性肌用
拭き取りとして明色スキンコンディショナーオーガニックローズ。これの香りとても気に入っている。バラの精油は高価なので持っていないけれど、バラの香りのスキンケア、ひとつは使いたい。
化粧水の前にローズヒップのオイル4滴。にきびに効く。香りは馬油に似てる。馬油もにきびに効くけれど、ローズヒップの油のほうがさらっとしている。
化粧水…冬なのでグリセリン多め、まだてづくりしてる。精油タスマニアのラベンダー、イタリアのスイートオレンジ、産地不明のネロリカモミールフランキンセンス。角質のためにほんの少しフルーツ酸。保存料としてグレープフルーツの種の油。
油またはクリーム…油は、先程書いたローズヒップの油をベースにして、馬油、米油、オリーブ油を少しずつ混ぜたもの。ラベンダーとスイートオレンジの精油。クリームは二種類ある、シャネルのルブランクリームとてづくりの。てづくりのほうは、シアバターとホホバ油、馬油でつくる。これも、ラベンダーとスイートオレンジの精油を入れる。シャネルのクリームは美白クリームだが、手っ取り早くにきびを消すのに良い。自分でつくった化粧品も悪くないけれど、科学とお金の力を注ぎ込んだ化粧品はやはりすごい。むー。
▶︎▶︎年末から1月3日までは肌の手入れを全くなにもしていなかった。その罪滅ぼしのために今やり過ぎなくらい手を掛けている。洗顔のあと朝は5分、夜は10分くらいかけて手入れしている。顔の手入れをした後手に残ったべたべたを肌水で薄めて首や手の甲や腕になすりつけ揉み込む(このとき肌水でなく自分でつくった化粧水を使ってもいいのだけどなんとなく勿体無いような気がする、たいした違いじゃないのに)。不思議なことに、顔には油やクリームをいくらべたべた塗りたくってもマッサージすればすぐさらさらになるのに、手のべたつきだけはいつまでたっても気になるのだ。…



眠りの発作はいつまで経ってもおさまらず、いまだ1日15時間は眠ってる。もっとかもしれない。朝は必ず4時くらいに目が覚める。時計を見て水を飲んでまたすぐ眠る。次は6時過ぎに目が覚める。Jさんに「おはよう」とか「にゃあ」だとかメールを送って水を飲んでまた眠る。Jさんから返事が来ても気づかない。つぎは9時くらいに目が覚める。コーヒーを飲んだりあさごはんを食べたりする。肌の手入れもする。ここからまた一眠りする(しない日もある)。11時過ぎに目が覚める。Jさんに「にゃおーん」とかいうメールを送る。14時過ぎに眠る(12時過ぎに眠る日もある)。15時に目が覚める日と覚めない日がある。17時くらいになると活動をはじめる。19時から21時くらいに眠りにつく。23時か24時に起きだして、Jさんとスカイプで話す。1時か2時くらいに眠る。…
Jさんは眠るなと言う。多くても8時間程度にしたほうがいいと。眠り過ぎなのは自分でもわかってる。少し前までは1日2時間くらいしか眠ってなかったのだ。いまは1日がとても短い。部屋には本がたくさんある。三分の一くらいは片付けた(売り払ったり、あるいは段ボールに詰めて屋根裏に仕舞ったり)。でもまだまだある。読みたくなるけど手が伸びない。読むのが怖い。なぜだろう。「読書なんて大っ嫌い」。実際私は昔から「読書」はたいして好きではなかった。「本」が好きだっただけだ。「読書」は「本」についてくるだけのものである。「読書」自体に意味があるはずがない。「本」と「読書」を同一のものと考えている人は存外に多い。そんな人が「電子書籍には命がない云々」などと言うのを聞くとぞっとする。「読書」が好きなら電子書籍でも構わないじゃないか。手書きの写本が主流だった時代、印刷された本には命がない、と言われていた。それが今は、電子書籍には命がなく、印刷された本にはそれがあると言う。私は手書きだろうが印刷だろうが、本に命はないと思っている。手書きや印刷に命があるのなら電子の海を漂う読み物にも命があるはずだ。モノに命が宿るのではなく、コトバに命が宿るのだ。インターネットから文書をプリントして製本すれば、彼らにはそれに命が宿ったように見えるのでしょ?見上げた拝物主義。いのちなんてこの世界のどこにも存在しない。人は死んだら21g軽くなる、では本はいつ死ぬ?それを読む人がいなくなったときか、それとも物質として焚かれたときか。物質として焚かれることが本の死だというなら、本は電子の海に浮かべられたそのとき永遠の命を与えられたことにならないだろうか?「それ」はたった一台のコンピュータの中に生きるのではなく、実体のない別の宇宙、時間の流れない新しい世界の中に生を与えられるのだ。その世界は無数の窓によって私たちの生きるこの世界と繋がっている。私たちはいつでも自由にその窓から彼らの姿を視ることができる。読書を愛する人が紙の本を尊ぶのはひどい矛盾だ。私は命のない重層的で不便な、朽ち果てる世界への窓としての本を愛している。その窓には意味のない記号が書き散らされ、私は向こうを覗くことができない。一冊の本に何枚の窓がある?私はその窓を窓を窓を積み重ね積み重ねて無数の別の世界(これはけして物語の中の世界という意味ではない、紙と紙の間にあるなにか、紙の向こうには何がある?空気がある?否、別の紙があるのだ!紙は神に通じる?)を身近に蓄える。狂気!あなたは紙を重ねるという行為の内包する宇宙に眩暈を感じたことがありますか?紙を重ねるだけじゃない、重ねた紙の片方は綴じられているのだ!ときには綴じられていないこともあるしあるいは両側が綴じられていることもある、袋綴じになっていることもあるし御朱印帳のように綴じられておらず蛇腹になっていることもある。インターネットと違い覗き視ることのできないこれらの世界は私を狂おしくする。彼らはなのだ!?