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2015-05-04,Mon.

日記はその日ごとに書かないとダメだなあって、わかってはいるのだけど、つい溜めてしまう。溜まってくると、いくら面白いネタがあってももう書く気がしない。

今、ひとりでフランス語を勉強している。さぼり気味ながらこの調子でいけば夏が終わるまでにはひと通り簡単に済ませられそう。今年じゅうにラカンを読めるようになる、というのは無理な話なのでしょうか。どうなのでしょうか。今のところラカンを読むことを目標にしている。私は実用的なことにアレルギーがあって、したがってフランス語も、何かをするために勉強しているわけではないのだ。なぜラカンを読むことを目標にしているかというと、私はラカンに興味がないのです。だからラカンを読もうと思ったのです。


私はよくJさんに、「わたしはあなたが寂しくないように居るわけじゃないんだよ」と言う。Jさんはそのたび「わかってるよ」と言うけれど、わかってないことは明白である。
解説。
①Jさんのセリフ「俺はあなたがたとは頭のつくりが違うのであなたがたから見れば説明に無駄なことを付け加えているようでも俺の中ではどれもきちんと繋がりがあるんだ」
②①からの一連の会話の中でのJさんの別のセリフ「余計なことを付け加えているのは俺もわかっているがあなたがたは馬鹿だからいちいち説明してやらないとわからないだろうと思って言ってやっているのだ」
①,②を聞いて私はJさんを軽蔑した。利口そうに見えても所詮考え無しの直情型の馬鹿である。世の中に彼以上の馬鹿しかいないからこの馬鹿がこんなにつけあがったのだ。彼には誇り高さの欠片もない。私は一個の人間を形作るにあたっていちばん大切な要素は誇りだと思っている。半年くらい前までは私は彼は誇り高いひとだと思っていた。彼もそのように振舞っていた。彼がじつは誇り高くないのだということに気づいたのは、わたしが彼の寂しさのツボに触った時だった。そこで、わかった。彼が哲学を人に教えるのは寂しいからなのだと(だから、①,②のような矛盾が生じる)。私は、彼が私に哲学だとかその他色々の話をぐだぐだと聞かせるのは彼が私をその他大勢と同じに扱っている証拠だと了解しているし、皮肉な意味で「誇り高い」私は寂しさをまぎらわせる道具として使われることに耐えられない。このような会話の強制は不愉快極まりない。
「わたしはあなたが寂しくないように居るわけじゃない」
⇔「わたしに色々の話を聞かせないでほしい」
⇔「黙れ」
直接黙れと言ってもJさんが黙ったためしはないし、このように馬鹿みたいに遠回しな言い方をしても黙らない。

すべてのものがみな、愛すべきその姿だけを見せてくれればいいのに。私はいつだって蒲郡風太郎の気持ちなのである。だからJさんに『銭ゲバ』の文庫版をブックオフで買ってプレゼントした。



皮肉な意味で「誇り高い」私が人前で真剣にJさんを貶めたことはなかった。しかしJさんはそのようなことにあまり関心がないようなので、この記事も公開することにする。