2015年12月3日(木)

頭の中で考えるばかりで文字として記録できていない。かつ消えかつ結びて。

わたしは狭間のことが知りたい。認識の狭間、それはこれだ、とか、間違っているとか正しいとかいう言明から生じる狭間、
海苔の色は黒だけどその中に紫も緑も茶色もある。でもそれを同じ黒ということにしてしまえる。
より多くの色を知覚できる種類の人間がいる。彼らよりはるかに少ない色数しか知らない人間もいる。色盲と呼ばれる者もいる。あるいは完全に盲いた人間がおり光の存在だけは知る盲人もいる。
光とは、色とは何か。これこれの波動がこれこれの物質に反射し眼球の各種器官が云々と語ることはできる。私が言いたいのはそれ(それそのもの)のことではない。我々の意識の中にある「色」のことだ。ある色をある者は赤だと言いある者は紫だと言い別のある者は茶色、更に別のある者は橙だと言うことがある。
それは我々の処理能力が世界に追いついていないだけのことかもしれない。しかし、「色」というものはどのようにしてうまれたのか。だれが物事から色だけを抜き出したのだろうか。それは抽出されなくてもよかったのではないか。わたしたちは生活の中でこれは赤でこれは青でこれは青みと黄味の僅かに混じった黒の多い鼠色だなどと考えるだろうか。これはRGBいくらだなどと考えるだろうか。空の色を見て青だなどと考えるだろうか。わたしたちはそれをただ美しい空だと考えるだけではないのか。色とは何か。
それとも世の中の大部分のひとは私よりスッキリとした視覚を持っていてものの色を確信を持って言い当てることが出来るのだろうか。私には色がわからない。色見本などというものが役に立つと思えない。全部違う色だ。これは赤ですと言うとき私の心はバカみたいにエネルギーを消費している。それを赤だと言うことによって切り捨てなければならないものはあまりに多い。私は色を素材から切り離して考えることすらできない。ペンキの色とそれを塗られた後の木材は違う色だし同じ原材料で作られ同じ染料で染められた服も布を構成する糸の太さあるいは織り方によって色が違う。影の部分の色を答えればいいのか光が当たっている部分の色を答えればいいのか布地の凹凸のどの部分の色を答えればいいのか光の種類は自然光か蛍光灯か蝋燭の炎か朝か夕方か天気は晴れか雨か季節は?こういう匂いの色ですと答えることは間違っているのか。
私は共感覚を持っておりしかしそれは表現することができないくらいぐちゃぐちゃに混ざりあっている。色も匂いも感情も音も味も全てが絡み合っている。私がつねに無意識にウィッパサナー瞑想のような状態を強いられているのはもしかしたらそのためかもしれない。いつも確認していないとどのような世界に迷い込んでしまうかわからない。