2015年12月10日(木)

冬の雨はとても好き。雪と同じ香りがして、しかし雪ではない。ここにどんな素敵な魔法がかけられているのでしょう。落ちてきて肌に触れたときの雪の不安定さに宿る恐ろしさ、雨の安定。ほんとは雪だってかまわないのだ。私は雪が降っても喜ぶ。雪の狂気にあてられて、気がふれたようになる。真夜中に躍り狂う。雨が降ると、私は反復の世界に身を寄せる。同じ交差点をぐるぐる回り続ける。信号を待つ、渡る、また待つ、渡る、待つ。そしてわたしは泣く。空から涙が降る。私はこの世で一番純粋な涙を流す。



人間は嫌いだ。みんな弱いみんな弱いみんな弱い。弱くないのは私だけ。サイコパスかもしれない。弱くて弱くて涙を流し続ける私だけが、弱くない。みんなどんどんどんどん内に内に溺れていって、私だけが、無感動で、おいてけぼり。
ロマンチックな話に共感するあるいは浸ることができない。ここでのロマンチックはハーレクイン的な意味ではない。

あの有名な人物のあの有名な一文、「より高次の存在にとって、世界がいかにあるかということはどうでもいいことだ」
中学生だか高校生だかの私はこれを読んだとき嬉しくなった。こいつわかってんじゃん!と(驚くべき傲慢?)。あのときのような嬉しさを味わうことはもうないだろう。

どんどんどんどん内へ内へ、潜り込む。どうしてそうやってせかいから自分を切り離して特別視することができるのだろう。私はそんなに人間を信用できません。







私はすべてを意識内で反芻しなければならない、あるいは「現在」の「すべて」を意識内に保持していなければならない、特殊なアタマ(ココロ?)を持っています。これが「特殊」だと気づいた時点で私の人生は終わったのだ、たぶん。でも気づく前は私は人間ではなかった。つまり、そうか、わたしは人として生きたことがないのだ