2016/05/31,Tue.

どんなに楽しい、どんなに幸せな出来事も、想像も、私の死にたみを和らげることはない。私には、死にたくない想像はできない。何か良いことがあって、それで死にたくないと思えるような人とは、人間としての造りが根本的に違うのではないか、そんな気がする。恐ろしく深い亀裂を感じさせる違い…。

私に対して「人生良いこともあるよ」と言う人は多い。そのような人は、私の人生には良くないことしかなかったとでも思っているのだろうか。いままで悪いことしかなかったから、玄冬は死にたいのだと。逆だ、私の人生には良いことしかなかった。私は楽しいことや幸せなことしか覚えていない。私は自分が不幸だと思ったことなんて一度もない。私は悲しかっただけだ。一つだけ言えることがある、すべてに意識的なまま完全に幸せに浸ることはできないということだ。私の人生のすべての場面は幸せだったけれど、その中に私は居なかった。その中に居ないことが申し訳なくて、私はいつも幸せな場面に謝罪している。


もしかしたら私には、幸せな場面と不幸な場面の見分けがついていないかもしれない。その中に居ないいじょう、私にとって幸せな場面も不幸な場面も対した違いはないのかもしれない。

私がツイッタを愛するのは、そこに在も不在もないからだ。ツイッタにおいては、すべてが在であり、同時に不在だ。