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私はそのひとの視線が好きだった。そのひとの視線はとくべつだった。私はいつもそのひとの横に立って、何かを眺めるそのひとの横顔をみていた。息を呑むほど繊細な細工が施された不思議にシンプルな眼鏡の蔓に僅かに重なって、そのひとの視線が見えた。私はその視線に恋していた。
エレベーターの中だった。世界が凹んでいるんです、と私は言った。そのひとは黙って私を見た。ちょうど眩しいものを見るようなかんじで目尻に皺を寄せて。私はその視線に射竦められ、この視線だけが凹んでいない、と思った。私と凹んだ世界とはかつて接触したことがなかった。この視線が、世界の中ではじめて私に触れた。
そのひとの視線は私に触れたが、そのひと自身は凹んだ世界の一員だった。そのひとは私に触れることはなかった。私はそのひとの肩に腕をかけ、皺のない不思議な色の唇にキスした。そのひとは動くことなく静かに私を拒絶した。私はキスをやめなかった。接した唇は生暖かく交じる吐息がお互いの肌を撫でた、しかし身体を寄せてもその間には凹んだ世界の冷たく湿った風が途切れることなく吹きつけていた。
私は再びあの視線によって貫かれることが怖かった。